クィアたることの原則を再確認できる作品
邦題:トランス物語に抗して
英題:against a trans narrative
監督:ジュールズ・ロスカム/Jules Rosskam
61分|2009年|米国|英語
web:http://www.julesrosskam.com/against-a-trans-narrative-1/
トランスするという決意を周りに告げたとき、私の身体は「砂時計みたい」なフォルムだった。豊満な胸と細いウェストを捨てるのは勿体ない、と示唆されたのは一度や二度ではない。それでも私は、外科的療法によって胸を真っ平らにした(これに関しては別の物語もある※1)。女性という身体への眼差しや、価値判断を丸ごと捨ててやった気分で爽快だった。余計なものを捨てたのに、また別のものを背負い込んでしまうのが厭で、私は曖昧な身体を維持し続けている。つまり、男性特権が発生しない範疇の身体を選んだのだ。――心からそう思うこともあるし、他に選択肢がなかったと思うこともある。
「トランス物語に抗して」を初めて鑑賞したとき、日本では一般的でないことが描かれていると思った。まず、多種多様な語り手が実際に顔を合わせ、意見を尊重しあってトランスジェンダーについて議論していること。そしてトランス(この映画では特にFTM)の身体にまつわる政治、フェミニズムを語っていること。日本の法や医療の仕組みは、最終的に自己責任に委ねられてしまうことが多い。法を基準にした身体を選んで、健康を害しても自己責任。公式な医療はあるが、満足できなければ別の病院で修正するひともいる。やはり個人の責任だ。そういった制度と「多様性にまつわる情緒」のようなものが合わさって、トランスジェンダーの身に起こることは個の領域に還元されがちだ。性別移行に成功して良かったね、トランスはあなたの個性だ、それぞれ違って素晴らしいよ――という具合に、個人の身体移行を言祝ぐことに焦点があてられる。
だから、この映画で繰り返される男性特権の話には、拒否反応を示すひともいるだろう。苦労して手に入れた望みの身体に特権が付随することを指摘されると、個人の歓びに水を差される気持ちになるかもしれない。映画にも、「身体は変えたいけど特権を望んでいるわけじゃない」と悩むトランス男性と、その言い方に腹を立てるパートナーの会話が登場する。映画を撮りつつ自らの手術を控える監督もまた、逡巡している。だが、男性と見なされた時点で否応なく特権を持つという事実から、監督は目を逸らさない。問いは繰り返される。
現在、実時間に、この社会において男性特権を手にするとはどういうことか。女性を狙うナンパや勧誘を受けなくて済む。食事会や飲み会で「男の世話」から解放される。夜行バスや外泊時の不安もかなり減るだろう。もちろん、これらは象徴的な事例だ。無数の事例を背後で支えているのは、自明とされているジェンダー規範や異性愛主義、男女二元論である。それを打開するためには、抑圧する側・加害する側にまわらないという当然の選択だけでは足りない。男性として見なされる者が社会でどのような振る舞いをすべきか、明確に意識することが求められる。FTMの「女子としての履歴」と、フェミニズムが共鳴する必然性が、多くのシーンを通じて炙り出されていくのだ。
本作では、医療にまつわる場面が断続的に挿入される。タイトルになっている「トランス物語」との対峙だ。精神科で、あるいはカウンセリングルームで、トランスジェンダーが遭遇する問題は多い。スムーズに診断を得るためガイドラインの「予習」を勧められたり、年齢制限に引っかかって非正規医療を選ぶかどうか迷ったりする。そして、医者が気に入るような「FTMらしさ」のために、女性に恋愛感情を持つと述べることもある。心の中の「嘘つき!」という声に耳を塞ぎながら。
監督が言うところの「トランス物語」に共通する問題意識を、私も持っている。日本の「GID」(性同一性障害)を取り巻く状況を、2008年に「GID規範」という語を伴って提起した。
「医療側と患者、双方の『歩みより』と手のうちの読み合いが、GIDにおける言説や価値をつくりあげた。正規医療に親和的であること。身体を嫌悪していること。逆の性に同化したがっていること。これらは、もともと広く社会に受け入れられている性別二元論やヘテロセクシズムと“習合”し、確かに模範的なGID像、『GID規範』を構築してきたのである。(…)医師が診断現場に『逆の性』への同化や性別二元論を持ち込むことによって、当事者の治療後の心身のあり方も、二元化されていくのである。だが、その内実はほとんど語られていない」。※2
論文では紹介できなかった「内実」を、実際に観て確かめてほしい。トランスジェンダーを医療の枠組みで扱う過程で、同質の問題が生まれていることを実感できる。そこに風穴を開けるのは、画一化されていない語りの発信だ。多様性の語り手が「いつものメンバー」では、その中身は結局のところ規範として作用してしまう。作品に登場する語り手の属性についても、どういった意味が込められているのか注目する価値がある。
私は「特権と向き合う」という自らの砦を守るような気持ちで、この身体を維持しているのかもしれない。ここからどのように、何を攻めていくか迷い続けているが、映画に出てくるひとたちのように語る場があれば助けになると思う。模索の半ばにあって、クィアたることの原則を再確認できる作品であった。
※1 「ヨシノ支援プロジェクト「GID(性同一性障害)」医療改善のための裁判闘争をご支援下さい!」
※2 論文「GID規範からの逃走線」、『現代思想』2008年3月号青土社pp.126-137
吉野靫
2002年、立命館大学の学生自治会でGSP/Gender Sexuality Projectを立ち上げ、全学的に活動を開始。
セクシュアル・ハラスメントの実態調査、ガイドライン改訂、デートDVやセーファーセックスなどの学習会、トランスジェンダーのためのトイレ改善や通名通学、全新入生にジェンダー・セクシュアリティ問題専門のパンフレット配布など、啓発と制度改変を行った。
2004年には、学生団体単独では日本で初めてとなるレインボーパレードを開催。
2006年、大阪医科大学ジェンダークリニックにおいて医療事故に遭う。翌年、大阪医科大学を相手どり提訴。立命館大学先端総合学術研究科に編入し、トランスジェンダーに関する論文執筆や企画開催を開始し、医療訴訟の原告としても講演活動を行う。2010年、複数の条件で合意が成立し勝利的和解。
現在は心身の回復をはかりつつ、立命館大学の専門研究員として研究活動に従事。
2019年度中に、青土社より単著刊行を予定。
『トランス物語に抗して』作品レビュー
トランス物語に抗して
►9/23(月/休) 12:30 すてっぷ(上映後に、シネマカフェあり)
►10/20(日) 18:05 西部講堂(『フィッツジェラルド、ここに眠る』と同時上映・クロージング企画)
ジュールズ・ロスカム監督特集
・ジュールズ・ロスカム監督 経歴
・特集解題(ひびの まこと)
【特集企画】シネマカフェ
【特集企画】ロスカム監督記念講演
【特集企画】クロージング企画
【関連特集】日本のトランス男性と映画
【ロスカム作品 一覧】
- トランスペアレント(61分/2005年)
- フィッツジェラルド、ここに眠る(25分/2007年)
- トランス物語に抗して(61分/2009年)
- クィアな仲間の作り方(85分/2012年)
- パパのやり方(82分/2018年)
- 思いっきり泣くこと(13分/2018年)
- Dance, Dance, Evolution(18分/2019年)
- ロスカム作品 レビュー 一覧
- ロスカム作品 予告編 一覧
♦日本語の作品を含め、全ての上映作品に日本語字幕が付きます。
♦ステージ上での全てのトーク・講演に、手話通訳がつく予定です。
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