クィアな仲間の作り方
►9/21(土) 16:35 すてっぷ(『フィッツジェラルド、ここに眠る』と同時上映)
►10/19(土) 22:50 西部講堂(オールナイト)
人間関係はとても複雑で魅力的。食べて、笑って、歌って、セックスして…。誰とどんな風にどんな時間を過ごすのか。その可能性は限定されることなく無限に広がっている。
恋愛、仕事の愚痴、興奮したセックス、食事とともにおしゃべりは続く。仲間と過ごす何気ない日常を切り取った作品。
観た人にとって少しドキリとする場面も織り込まれている。例えば、コーラスの練習中に“クィアはいつも私のそばに絶対にある”とみんなで歌うシーン。何があるのだろう、クィアとは何だろう、そう考えさせられる。答えは簡単には見つからないかもしれない。自分にとって、あなたにとって、誰かにとっての“クィア”があると思う。自分への肯定、仲間とのつながり、社会への反発、いろいろな“クィア”があると思う。けれど、“あなたのそばにも絶対にある”、そんなメッセージがコーラスのメロディに乗せてじんわりと心に響く。
時々添えられる言葉も印象的だ。穏やかで、華やかな仲間たちとの日常とは対比的な言葉が並ぶ。なぜ監督はこのメッセージをこの映画に込めたのだろう。人間関係は決して“楽しい”ばかりではないことを囁いているのか。はたまた、どうにもできない想いを持て余した監督の嘆きなのか。監督の思惑を考えるのもまた楽しい。
何気ない日常、それは逆を返せば、単純な一つのストーリーではないということ。登場人物それぞれに、何十年、何万日、何十万時間、何億分といったこれまでの日々があるということ。そして、そんな人たちが、出会い、別れ、同じ時間を過ごす。それは、決して単純なことではなく、とても複雑なこと。だからこそ、とても魅力的。(あやこ)
それはまるで、気のおけない友人達とおしゃべりをしてる気分になる映画。血縁や法制度によって維持されるのではない「私たち」の人間関係の豊かさや厚みを描きます。「○○だからこうしなきゃ」の定義づけや同化ではなく、一人ひとりが自由に作り出す親密さ。そしてその曖昧さと複雑さ。「男子であること」「トランス物語に抗して」のロスカム監督の、愛と家族についての挑戦を見てみよう。(ひびの まこと)
『クィアな仲間の作り方』作品レビュー
クィアな仲間とは、目の前にある、「普通」とは異なる社会的つながりを共に想像できる仲間岸茉利
時々「やっぱり私たちってクィアだね」とふと肩の力を抜いて笑う瞬間がある
あやこ