13thKansaiQueerFilmFestival2019

特集解題
ジュールズ・ロスカム監督作品と関西クィア映画祭の10年

ひびの まこと

 初めて関西クィア映画祭でジュールズ・ロスカム監督の作品を上映したのは、第3回2007年の『フィッツジェラルド、ここに眠る』だ。あたりまえのように、トランス男性による黒人差別を描いていたロスカム監督の作品は、ひときわ私の目を引いた。そしてそれ以来10年間以上、関西クィア映画祭ではロスカム監督作品を継続して上映し続けてきた。

 トランス当事者1人1人の選択肢を少しでも増やすことに寄与すること—これが、私たちがトランス映画を選ぶ時に大事にしている点だ。トランス映画と言ってもいろいろある。シスジェンダーに対して「分かり易く感動を与える」事を重視して、ステレオタイプのトランス像(特に、トランスの悲劇物語)を描くもの。マジョリティーに「分かってもらう」ために、過度に(もしくは無意識のうちに)規範に同化しようとして、批判的な視点やクィアな要素を切り捨てたもの。そういう作品も「ないよりはあった方がいい」という面があると同時に、「トランスとはこういうもの」という新しい「らしさ/規範」「トランス物語」をつくり出して更にトランス当事者を窮屈にしてしまったり、トランスジェンダーの中に更に少数派を作ったりするという弊害も、併せ持つ場合がある。
 ロスカム作品は逆に、このような構造に意識的に抗い、トランスジェンダーの多様性を積極的に描こうとしている。19人ものトランス男性にインタビューした『トランスペアレント』は、自分自身を生きている親たちの一人一人の固有の語りを通して、「そういう生き方も、ああいう在り方もアリなんだ」と私たちに教えてくれる。そして、抵抗のあり方や生き方はそもそもが1人1人固有のものだ、既に「私たち」はそれぞれの固有の生を生きている素晴らしい存在なのではないか—とも気付かせてくれる。

 「男女という制度」や性別というシステムそれ自体を映画として直接描こうとする時、『トランス物語に抗して』のやり方以上に相応しいやり方を私は見たことがない。ロスカム監督は「実験的な映画だ」と言っているが、そもそも「性別」それ自体が "実験的" なのではないだろうか。性別は、規範としてそこに既に存在し、また社会制度を通して私たちに強制力を持つと同時に、私たち自身の言動の積み重ねによって性別が実践され、改変もされ、制度が再構築され続けているという特徴がある。そもそも男とは女とは、男らしさ/女らしさとは何か。法的には明確に二択で線引きされるのに、実際には何が男らしい/女らしいかは、時代によっても、地域によっても、人種や民族によっても、年代によっても、そして人によっても、昨日と今日でも、違う。トランスジェンダーを取りまく様々で複雑な社会的権力関係を、トランス差別や性別二元主義からだけではなく、それらに加えて女性差別や人種差別なども併せて、直接かつ根源的・複合的に描こうと切り込んだのが『トランス物語に抗して』だ。
 男としてパスすることやトランスすることで、男性特権が付与されるという事実にどう向き合うか。ロスカム監督自身のトランスをめぐっても、監督と恋人とが、お互いを思うからこそ容赦なくやり取りする会話も映画に挿入されている。記録者や観察者の視点から、上から映画を撮るのではなく、自身の人生もタブーにせず俎上に載せ晒しながら、トランスする事の意味に切り込んでいくロスカム監督の姿勢は、あまりに真摯で誠実だ。

 『クィアな仲間の作り方』の中では、もう誰もラベルを名乗らない。LだのG、B、Tだの、モノ/ポリだの、そんなことではなく、一対一のコミュニケーションがあるだけ。前作『トランス物語に抗して』で、トランスだの男だのと散々詰めて頭を使って考えていったロスカム監督が、そういうのに飽きて説明的なのを一切省いた映画を作ったように思えた。そういった移り変わりが、ロスカム監督の人間くささを私には感じさせる。
 関西クィア映画祭では、通常は、映画は大阪と京都との2回上映が基本なのだが、実はこの『クィアな仲間の作り方』は、2013年の上映時、京都会場での1回上映だけにした。この映画を見て「そうだよね、そうだよね」と観客に共感してもらえる自信が当時なかったからだ。しかしそれから5年、映画祭を続けていくことで、「クィアな仲間」のつながりが、まだ十分な太さには至っていないけれど、映画祭の周りにも少しずつできているように感じられる。だから今年は、2回上映する。

 今回、ロスカム監督特集をやりたいと思ったのは、『パパのやり方』の試写を見た時だった。映画の中には、家族の中で起きたことについて、誠実に話をする人たちの姿があった。映画では、特にトランスジェンダーのことが描かれているわけではない。しかしその「人と話をするそのやり方」は、ロスカムが(そして私たちが)トランスや男性特権やフェミニズムや人種差別について人と語り、お互いの親密な関係の在り方について友人や恋人たちと語ってきた、そのやり方と同じだと思った。直接トランスについて扱った『トランスペアレント』や『トランス物語に抗して』、「トランスの」というよりはクィアなコミュニティーを描いた『クィアな仲間の作り方』、そしてもうトランスのことは特にテーマではない『パパのやり方』。こういったテーマの変遷をまとめて追うことで、一人のトランス男性の映画監督を「トランス男性」のラベルと檻に閉じこめないで、自身の人生に挑戦し続ける一人のクィアの生き方として提示することが出来るのではないか、と思ったからだ。
 もちろん一作品ずつでも十分楽しめる。でもこの際ぜひ、ロスカム監督作品全7作品全体を、ジュールズ・ロスカムさんの人生を描いた一つの長い長い超長編映画だと考えて、全作品をみるという挑戦をしてみませんか?(全7作品で計345分です)




ひびの まこと
関西クィア映画祭 代表
http://barairo.net/





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