17thKansaiQueerFilmFestival2025

『流れゆく 遠い道』大阪会場での質疑応答について


チェ・イェリン監督のトーク

  昨年の映画祭で上映した『流れゆく 遠い道』。大阪会場での上映後に会場からでた質問が、作品や特集の趣旨を十分に理解していない、趣旨にそぐわない内容だったのではないか、という意見が、反省会で出されました。

 映画祭自体は様々な考え方の人に開かれた場ですので、作品や特集の趣旨を理解した上でそれを批判する質問をすること自体は構いません。しかし今回の質問は、「日本人ファースト」を実践するような意味と効果を持つ、問題のある質問だったと、映画祭実行委員会としては考えました。

 本来であれば、当日その場で、必要な意見交換ができればよかったのですが、主に時間的な都合から、それは叶いませんでした。
 ただその一方で、この質問は「日本人ファースト」が蔓延する日本社会において、"フツーの日本人" がよくするような質問でもありました。私たち自身も、自分の過去を振り返ると、決して「他人事」とは思えません。映画祭の主催者としては、この質問にちゃんと1人1人が向き合う事が、大切だと考えました。
 以上から、映画祭実行委員会として、今回の特集の趣旨を踏まえ、改めてこの質問を取り上げます。まず、当日の発言を、録音データから文字起こししたものを掲載します。またそのあとで、各実行委員1人1人が考えたメッセージを、掲載します。ぜひ読んでみてください。そして一緒に考えましょう。

2026年3月7日 関西クィア映画祭 実行委員会

質問者さんへ
質問者さんとは連絡を取る手段がなかったため、文字起こしは実行委員会の責任で行っています。もし内容の訂正等を希望される場合には、直接ご連絡ください。
また、質問者さんの発言は、私たちとは意見が異なりはしますが、意図的な悪意を持っての質問ではなく、素直にご自身の思いを発言されたものだと考えています。ですので、可能であれば、ぜひ質問者さんとも直接お話し/意見交換したいと私たちは考えています。このページを読まれたら、ぜひ実行委員会まで、お声かけください

当日の発言(文字起こし)

映画祭実行委員会が持っている記録データから、文字起こしをしました。
読みやすくなるように最低限の手を加えていますが、もともと話し言葉ですので、その点ご留意ください。


【質問者】
ちょっと気になったのが、この映画の意図をあまり理解できていないかもしれないんですけど、あの詩の朗読を使った、あの詩を使ったのはなぜかなと思って。

私はすごい日本人なんですけど、韓国の人と日本の人が合わないところのひとつが、韓国人が日本人に対する恨みを持って団結してるみたいなところがあまり好きになれないなと思っているけれども、民子さんは、そういう雰囲気を出さずにあの家を作られているなと見ていて感じて。

話の中にそういう恨みみたいなのが出て来なかったから、あ、こういうこともあるんだな、こう恐怖を分かち合うとか不安を分かち合う場というのがあるのかなって思ったんですけど、

あの詩はちょっと恨みを出してる詩だったし、朗読の仕方もすごいちょっとそういう雰囲気を感じて、それがもっとなんかフラットだってあんまり何も思わなかったのかもしれないんですけど、

ちょっとすごいそことのギャップとか、民子さんとのギャップみたいなのを感じてちょっと。うまく言えないんですけど、その詩が伝えたかったことなのか。昔の人は恨みを持って死んでた。だから、団結しようではないのかもしれないですけど、

今もその気持ちを理解して追悼しようみたいな雰囲気にしたかったのか、そうではなく、もうちょっとフラットな気持ちで楽しみも持ちつつ、でも現実としてあったこと、虐殺というのは良くないんだよっていうのを伝えるためにこういう活動してますっていうのを描きたかったのかは、ちょっとあの詩ですごい感じ方が違うなと思って。

あの詩をどういう感情で、あの雰囲気で読んだのかなとか、使ったのかなってのが気になりました。
分かりますかね? ちょっと長くまとまらなくてすいません。

【司会(ひびの)】
はい。ありがとうございます。
ちょっとマイクを頂いてください。どちらが答えますかね。

【チェ・イェリン監督】
そうですね。えっと、私の意図としては、あのまずあの詩はウヒさんが直接書いてくださった詩です。
あの、朗読のウヒさんが。

で、私も、要はあの、民子さんとウヒさんお2人が主人公なんですけれども、
今おっしゃったようにその民子さんはすごく未来志向っていうかすごい、
単純な構造で言うと明るいことを話されてて、ウヒさんは、少し暗いって、あの、受け止められるようなことを話されてるんですけれども。

でも私はあの、まず大前提としてあの、韓国、私は韓国で教育を受けて育ったんですけれども、
日本でよく言われることとしてその、反日的なことをやるっていうか、
私は、自分の実感としては、それは、帝国主義とか植民地主義に対する反感であって、別にその日本がどうのこうていうか、それは日本、今の日本次第だと思うんですね。

その今の日本が大日本帝国に近づいていけばそれは「反日」になるんですけど、その時のあの帝国主義というか植民地主義に対する反感っていうのはもちろん持ってるかもしれないんですけど、そこを何と呼ぶかは日本次第だと思います。

で、それは別として、この関東大震災っていうのは、それこそ、在日コリアン(※注)、在日同胞の方々にとってすごく、重要な意味を持つ事件で、
私自身は韓国社会では韓国人として生きてきた時間の方が長くて、あの、マジョリティとして生きてきた時間が長いです。

なので私自身は在日コリアン当事者ではなくて、
だからあの2人のことをあの映画にすることにもすごくたくさん考えて作っているんですけれども、
あの、私も最初にそのお2人のことはすごく、ある意味対照的っていうか、
それを私がどういう風に編集するかがすごくいちばん大きな課題だったんですけども、

私が、自分自身も当事者じゃないので、お2人のこととか、その在日コリアンの歴史を理解するにあたって、この映画に使わせていただいたお2人の語りをどういう風に理解したかって言うと、
民子さんは在日2世の女性で、ウヒさんは在日3世のクィアなんですけど、
だから1世代下のウヒさんが、ある意味、すごい暗い部分を話している。で、それはそれこそ民子さんもお話しされてるんですけど、民子さんも20代の時に感じていた恐怖、不安というのが、100年という時間が経っても今の若者にまで受け継がれているのはどういうことかっていうことを考えたかったんです。

私自身も、今は日本に来てきている、ニューカマーですけども、
それこそ最近の、今回の特集じゃないですけど、日本人ファーストっていうところが、いろんなところで聞こえていたときにもう2週間ぐらい外に出られなかったです。怖くて。日本語も使えないし。っていう、私自身の経験もあるんですけど、

だから私が映画として作った時にあの心がけていたのは、民子さんはこういう明るい語りができるまでたくさんの時間がかかって、活動してきた結果、こういう語り、今の若い人たちが聞いても優しいという風に聞こえるような語りができるまでたくさんの時間がかかってきて、
で、ウヒさんもでも、先ほどの映像で見られたかと思うんですけど、すごい私も大好きな方なんですけど、
ウヒさんの語りはある意味それが元々のこの事件の根本です。この映画自体、とてもその当時あったことがあまりにも残酷なので、それを写真とか証言とかで直接扱ってないのは、ま、私自身も勉強してきた中でとてもそういう証言をいきなり聞いた時にすごく自分がダメージを受けてしまったので、それを、映像見る方には、なんて言うんですか、心の準備ができてないときにいきなりはいっていう風に見せたくなかったからなんですけど、

で、この映画でだからウヒさんの語りはそこまで私は暗くないと思ってて、本当に起きた事に比べると。
で、先ほど言ったように2世の民子さんで3世のウヒさんになるまで、で今も多分そうだと思うんですけど、その恐怖と不安っていうのが今も、多分毎日ではないと思うんですけど、ふとした瞬間にすごい不安になるっていうのが続いているっていう。

だからこそ100年経っても記憶して追悼する意味があるっていう風に思ったので。 演出として言うとだからあの民子さんの方がカラーで、ウヒさん、後の世代のウヒさんの方がモノクロにしました。その時間が経った時も続いているという意味で。ということですね。はい。

【司会(ひびの)】
えっと、終電の関係でこの会場を20分に出ていただくという約束で話をしておりまして、こうなりますと、最後にじゃあもう1人だけ、じゃあ、はい、どうぞ。
あ、お2人から。お2人からじゃあ簡単に言っていただいて、まとめて答えていただくという形で。

【質問者 カンス】
えっと、この映画を作ってくださってありがとうございます。
私も在日朝鮮人の3世で、あの、トランスジェンダーノンバイナリーのクィアです。

だからなんていうか、2つあってこの映画を見て良かったっていうのが2つあって。
私、今年荒川の追悼集会に行ってその場に立って、もっと何かそこで感じたことを共有したいなって思ったり。すごいなんか重たい気持ちになったりとか、その、自分はずっと関西に住んでて、ま、初めて行ったわけです。

で、やっぱりウヒさんと何か、その史実として知っていてなんかその色がついてなかったんですけど、その場に立って色がついて、この映画を見てすごい補完されたと思います。
だから見て良かったなと思う、思いました。

あとこのウヒさんが在日朝鮮人のクィアっていうことで、あの長い間、同じような仲間を探していました。
だから、何て言うか、そのウヒさんが朗読をされて、その朗読の中身、意味とか声のトーンとかかもすごく自分にはすごく大事でした。
ありがとうございます。

【質問者 りょうた】
私の方からまずあのこの映画を作っていただいてありがとうございましたっていうことを伝えたいなと。
あと自分はまあ日本人の立場ですけども、その今回聞いて、そのまず自分はウヒさんのことを昨年のその東京のプライドパレードの時のZINE(ジン)、あのピンクウォッシングに反対するジンのところに文章を書かれているのを見て、で

そんときからずっと、自分はパレスチナとかの問題って関わってたんですけどその中でどんどんどんどん自分の植民地主義の問題どうなってるんだろうっていうことを考えていて、それをしっかり指摘してくれたのが、自分の中ではウヒさんだったんですね。

で、なんかそのでもなんかもちろん、なんか今日は実際に声を聞けてで、ビデオメッセージを見れてすごい貴重な重要な機会だったっていうのが1つ。
とあともう1つはやっぱりなんかやはり自分の中で在日朝鮮、コリアンから在日朝鮮人に名乗るっていう、そこに時間がかかったっていうことをまず1つ。
それからそっからさらに自分のそのジェンダーセクシャリティについて考えるっていうこともまず時間かかった。この重みがすごい重みだなっていう風に思いました。 ありがとうございました。

【チェ・イェリン監督】
ありがとうございます。
お2人ともあのウヒさんにもちゃんと帰ってお伝えするので本当にあのはい。
あ本当にここで、この場で、改めてなんですけど、本当に今まで、韓国も含めて、女性映画祭で上映することは多かったんですけど、この映画、女性の民子さんとクィアのウヒさん2人が主人公なので、今回本当にクィア映画祭という場で上映していただいたことがとても大きくて、本当にそういう機会をいただいて、また見に来ていただいて、こうやってあの貴重な感想を、話していただいて本当にありがとうございます。

【司会(ひびの)】
こちら多分ね、そこ閉まってるんでしたらこちらから。
あ、上から行きますか?分かりました。
[拍手]
ありがとうございました。

(監督退席後、舞台上の椅子を片付けながら、司会のひびのが簡単にコメント、それに対して会場の座席から質問者さんが反論、司会のひびのが「私とは意見が異なる」と述べて次の上映作品に。)


(※注)
私は普段、映画上映後のトークなどでは「在日朝鮮人」という表現を使っています。ただ当日は、客席に在日同胞の知人の方々が何人もいらっしゃっていて、それぞれがご自身をどのように名乗っているのか分からず、とっさに迷いが生じました。以前、「在日朝鮮人」と言った際に「私は在日韓国人です」と訂正された経験もあり、もしかすると誰かを排除してしまうのではないかと一瞬考えたのだと思います。
ただ一方で、映画でも民子さんが「在日朝鮮人」と名乗っており、ウヒさんの映像メッセージの中に「在日コリアンから在日朝鮮人に名乗るまでに時間がかかった」という内容があったことを踏まえると、私が「コリアン」という言葉を選んだことが、その文脈に沿わないものになってしまったのではないか、と気になりました。
用語にはそれぞれ異なる歴史的背景や自己認識が含まれており、さらに私自身が在日同胞の当事者ではないという立場性も絡んでいるため、どの表現が最も適切だったのか今も簡単に答えを出せる問題ではないと感じています。ただ、その迷いや葛藤も含めて、今後も慎重に考え続けたいと思います。(チェ・イェリン)


実行委員1人1人からのメッセージ

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