『流れゆく 遠い道』大阪会場での質疑応答について
実行委員1人1人からのメッセージ めぐみ
『流れゆく 遠い道』大阪会場での質疑応答についての、実行委員1人1人からのメッセージを掲載します。
めぐみ
特定の民族や集団を一括りにして語ると、その内部にある多様な経験や背景を見えなくしてしまい、結果として偏見の再生産に加担してしまう危険があると、今回あらためて感じました。とくに、植民地主義や暴力の歴史を背負わされた側の語りを「恨み」という単語で単純化してしまうと、当事者が抱えてきた恐怖や不安、そしてそれが世代を超えて受け継がれてきた重さを過小評価する構造が生まれてしまいます。加害と被害の非対称性が存在する状況で、被害側の感情を「好きになれない」と評価する語りは、無意識のうちに自分を「評価する側」に置き、相手を「評価される側」に位置づけてしまう点でも、優位性の前提を含んでいるのだと思います。
こうした問題を考えるとき、日本社会がどのように形成されてきたのかという歴史的背景も無視できません。明治以降の日本は、近代国家としての統合を進める過程で帝国主義とその実践である植民地主義を積極的に追求し、琉球王国を解体して「内地化」し、アイヌの人々を独立した存在として認めず同化政策を押し進めました。そして朝鮮半島や台湾、満州(他にも広範な侵略地域がありますが、とりわけこの三地域が帝国の中核を成しました)をどのように支配し、「日本」として組み込むかをめぐって揺れ続けてきました。国家が「内地」と「外地」を区別し、誰を内側に含み、誰を外側に置くのかという線引きを行ってきた歴史は、現在の社会意識にも深く影を落としています。私たちが無意識に抱える優位性や距離感も、こうした国家形成の過程で作られた枠組みの延長線上にあるのだと感じます。
大日本帝国は1910年に大韓帝国を併合し、抵抗運動を弾圧し、独立運動家を監視し、「不逞鮮人」というレッテル貼りを日常的に行いました。日本社会は朝鮮人を「潜在的な反乱者」「治安を乱す存在」として扱い、関東大震災直後に流布した「朝鮮人が暴動を起こす」というデマは、この監視と敵視の延長線上にあります。また日本は内地(日本本土)と外地(朝鮮・台湾・満州)を区別し、法制度も権利も異なる扱いをしました。朝鮮人は日本国内にいても「外地の民」として差別され、法的にも社会的にも守られない存在だったのです。
帝国主義は、人間を序列化し、「強/弱」「優/劣」「先進/後進」「支配/被支配」といった二項対立を“自然な秩序”として見せかけてきました。植民地主義は単なる領土拡張の政策ではなく、世界を上下関係で理解し、その序列を正当化する枠組みそのものです。現代の私たちはその誤りに気づいています。しかし同時に、暴力や搾取を「文明化」「近代化」「保護」といった言葉で包み込み、支配される側の文化を「遅れている」「未開」とし、支配する側の価値観を“普遍的な基準”として押しつけてきた歴史を、見ないままにしてしまうことがあります。そのことが、私たちの中の無意識の優位性や距離感を温存しているのかもしれません。
さらに、イェリン監督が語ってくださったように、暴力の記憶は単に過去の出来事として終わるのではなく、恐怖や不安という形で世代を超えて受け継がれていきます。関東大震災の虐殺のような出来事は、直接経験した人々だけでなく、その子や孫の世代にも「いつ同じことが起きるかわからない」という感覚を残し続けました。
一方で、加害側に連なる側にもまた、別の形で記憶が継承されます。沈黙や忘却、あるいは「自分たちは関係ない」という距離の取り方が、まるで自然なことのように受け継がれてきたのはなぜでしょうか。
教育政策や行政の運用、報道のあり方など、さまざまに積み重なることで、植民地支配や暴力の歴史を周縁化し、忘却を促す構造が作られてきました。そしてそこには常に、何を語り、何を語らないかを選択してきた主体が存在します。歴史的な告発が十分に扱われず、時に矮小化されたり、問題提起をする人々が社会的なバッシングにさらされたりしてきた状況も、こうした主体的な選択の積み重ねの結果です。意図的な政策だけでなく、制度的な無視や沈黙を選び続けてきた判断が、結果として歴史的な非対称性を温存してしまったのではないでしょうか。
監督が作品で、民子さんとウヒさんの語りのトーンの違いを丁寧に扱ってくださったことは、私にとってこの記憶の継承の非対称性と、その広がりの深さを考える機会となりました。
帝国主義がもたらした「序列化」の構造は、ここでは触れきれませんが、クィアを含むさまざまなマイノリティの抑圧とも地続きです。歴史の問題を考えることは、同時に自分の中の“当たり前”を問い直すことでもあるのだと、あらためて感じています。何を語り、何を語らないかを選択する主体として、私自身、自分の内側にある無自覚な前提を問い直しながら、こうした問題に向き合う姿勢を持ち続けたいと思っています。
『流れゆく 遠い道』大阪会場での質疑応答 当日の発言(文字起こし)



