17thKansaiQueerFilmFestival2025

『流れゆく 遠い道』大阪会場での質疑応答について
実行委員1人1人からのメッセージ ひびの


『流れゆく 遠い道』大阪会場での質疑応答についての、実行委員1人1人からのメッセージを掲載します。


ひびの まこと(https://barairo.net/)


お日本人様主義
 質問者さんとは私は、大きく意見が、そして意見の前提となる認識が、異なります。素直に一言で言えば、「お日本人様の "率直なご意見" は、もううんざりだ」と、私は感じました。

1:希望

 私は、ウヒさんの詩の朗読を見て聞いて、「あの詩はちょっと恨みを出してる詩だった」とは感じませんでした。むしろ、とても抑制された、自分自身と向き合おうとする内省的な意思も併せ持った、またその姿勢を示すことで人に思いを伝えようとする丁寧な表現だと感じました。ですので、一体どう見たら「恨みを出している」と感じられるのか。むしろ質問者さんの感じ方が何に由来しているのか、気になりました。
 ただ、実は質問者さんは、その答えも自身で発言しています。「韓国の人と日本の人が合わないところのひとつが、韓国人が日本人に対する恨みを持って団結してるみたいなところがあまり好きになれないなと思っている」と、発言しています。
 当日壇上でも私は発言しましたが、そもそもこの作品(そして映画のあとで上映したウヒさんからのメッセージ映像)では、みんな「韓国人」「在日朝鮮人」という大きな主語ではなく、自分を主語にして、自分自身の思いや意見を表現しています。にも関わらず、質問者さんは、自分の持つ先入観の色眼鏡で映画を見てしまっているために、ウヒさんや民子さんの思いを、受け取り損ねていると思います。
 ウヒさんの詩は、虐殺の被害者とウヒさん自身との距離を確認するところから始まります。安易な共感や同化、安易な一体化ではなく、その距離を確認していきます。「在日朝鮮人だから」自動的に「自分事」であるわけではないのです。でもその確認作業は、他人事として切り捨てるためではなく、その逆に、自分事としていくための「色を付けようと」するための、意図を持った行為としてあります。
 「あそこで朝鮮人が殺されたのだ」と幼少期にハラボジの呟きを聞いたウヒさんですら、距離があります。まして、日本人として育った私にとって、それはだたの伝聞であったり、ただの書かれた文章であったり…、もっと距離があるかもしれません。
 それでも。ウヒさんは、自身の意思で問題に関わり、死者に近づこうとする試みを続けています。日本人の誰かであっても、質問者さんや私であっても、もし自分事にしようという意思さえ本当にあれば、それはできるのでは?私は、そのように呼びかけられているように、この詩から感じました。そういう意味では、この詩は、「恨み(うらみ)」というよりむしろ、未来に向けて「共にある」ための希望がどこにあるのかを、指し示していると言えないでしょうか。

2:恨み(うらみ)

 もし「恨(ハン)」という言葉によって「恨みを出してる」と質問者さんが感じたのであれば、それは「恨(ハン)」という概念への無知があると思います。漢字は同じですが、朝鮮語における「恨(ハン)」は、日本語の「恨み」とは、意味が異なります。少しネットで調べただけでも、「恨(ハン)」についての膨大な記事が出てきますので、一度ご自身でも調べてみてください。ネット記事より、活字に印刷された書籍の方がお勧めです。
 とはいえ同時に重要なのは、もし仮に、日本人に対して「恨み」を持つ韓国人が居たとしても、場合によってはそれには正当で根拠のある理由がある、ということです。
 私たち日本人の祖父母の世代、大日本帝国は朝鮮を不当に植民地にして、多くの朝鮮の人たちを苦しめました。土地の取り上げ、創氏改名、「性奴隷」とされた人たち、違法な強制連行/強制労働/徴用、そして関東大震災時に留まらない虐殺。これらは実際にあったことです。当時多くの日本人たちは、そういった朝鮮人への暴力に身体を張って反対するのではなく、それを容認/黙認し、また場合によっては加担/実践してきたという事実です。その具体的な被害に遭った人たちやその子孫、友人・仲間たちの中に、日本人や日本に「恨み」などの否定的な感情を持った人が居たととしても、特に不思議ではありません。
 更に加えて、日本の敗戦後は、朝鮮人の民族教育を暴力的に弾圧し、朝鮮人から日本国籍と参政権を一方的に剥奪し、「外国人だ」という口実で年金や健康保険からも排除し、就職差別や入居差別も蔓延し…。現在でも、朝鮮学校が教育無償化から意図的に排除されています。つまり国策としても社会のあり方としても明確な朝鮮人差別を、日本政府と日本社会は継続してきました(そしてそれは、朝鮮民主主義人民共和国に対する敵視政策と経済制裁という形でも、政策化されてしまっています)。
 こういった、これまでの日本政府と日本社会の行ってきた過ちを、日本社会全体として間違いだったと認めて本当に反省しているのであれば、まだ話は違うかも知れません。しかしこと今に至っても、安倍晋三や高市早苗などの極右の歴史修正主義者を総理大臣に選んでしまうのが、日本社会なのです。(ちなみに、安倍晋三や高市早苗は、2012年11月4日付けで米国の新聞に掲載された【日本軍「慰安婦」問題を否定する意見広告】に名前を出しているメンバーですらあります)
 実際には、単に「日本人だから」という理由で日本人に「恨み」を持つ韓国人は、今では決して多くないと思います。しかしそれは、決して、過去と現在の日本政府と日本社会の行いを、免罪するものではありません。日本政府と日本人は、恨まれても当然のひどいことを過去にして来ました。また今に至っても、社会全体としてその過ちをまともに反省すらできていません。その点で、私たち日本人の一人一人は、自身の行っている不作為による構造的差別への加担についても自覚すべきだし、もっと自身の恥を認識するべきだ、と私は思います。

3:「日本人ファーストをやめる」

 「日本人ファーストをやめる」というのは、話をする際にも、まず日本人は「話を聞く側にまわる」という事でもあります。「日本人である誰かにとって、それがどう感じられるのか」ではなく、「日本人ではない誰かにとって、それがどう感じられるのか」を優先する、ということです。  もちろん、「日本人ではない人」の意見が常に正しいわけではありません。しかし、今の日本社会では、「典型的な日本人」にとって耳障りのいい意見(そして事実に基づかない偏見)ばかりが、大手メディアだけでなく、ネットでも、動画でも、学校でも、職場でも、当たり前のように流通しています。「お日本人様のご機嫌を損ねないようにすること」が、まるで当然であるかのように思われる、そういう社会になっています。
 だからこそ、仮に自分とは意見が違っていても、相手の意見が間違っていると感じられても、まずはじめに「耳を傾ける」「相手の話に、興味を持とうとする」「相手が何を言いたいのかを、知ろうとする」という、意図的な努力が、日本人にはまず求められます。(※こういった前提となる考え方を、主催者として、あらかじめ提示をしておいたらよかったかもしれません。と今になって思いはします。)
 今回の質問者さんの発言は、私の意見とも、映画祭実行委員会の意見とも異なり、また特集企画の趣旨にも反する内容だったと思います。とはいえ、誰であれ、自身の信じる意見を表現することそれ自体が常に間違っているわけでもありません。ただそれでも問題は、"お日本人様" の発言で、しんどい思いをする人が、その会場の座席にも座っていた、という事実です。多くの在日朝鮮人や外国人にとって、それは毎日の生活の中で受ける "いつものこと" です。しかしそれをわざわざ、「日本人ファーストをやめる」と掲げた映画祭の場で、聞かされる必要もありません。その意味で、今回の質問者さんの発言は、全く歓迎されないものである、ということは、主催者である映画祭実行委員会として、はっきりとお伝えする必要があります。
 今回の質問者さんの発言を受けて、当日も、監督のイェリンさんからの応答がありました。改めてその応答を読んでみると、本当に的確に、必要なことを答えてくださっている、と感じます。質問者さんにも、是非何度も読み返して、自身の「日本人としての」考え方を再考する、きっかけにしてもらえたら、と願ってやみません。

お日本人様主義:
白人至上主義(White Supremacy)に相当する用語として、「お日本人様主義」はどうでしょうか。



『流れゆく 遠い道』大阪会場での質疑応答 当日の発言(文字起こし)

実行委員1人1人からのメッセージ

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