なぜ「性をテーマにした映画祭」である関西クィア映画祭で、日本軍「慰安婦」問題を扱うのか〜「沈黙 立ち上がる慰安婦」の上映にあたって

関西クィア映画祭 代表係 ひびの まこと

関西クィア映画祭で、日本軍「慰安婦」問題を扱うと、意外に思う人も多いようです。しかし、「クィア」を巡る世界的な動向から見ると、ごく当たり前の事だと私は思っています。

●まず、「性の多様性」という観点から考える場合は、国家による性暴力事件である性奴隷制は、ど真ん中のテーマだと思います。
性の多様性を訴える、というのであれば、性の多様性に対する真っ正面からの攻撃としての強かん、国家による性行為の強制に、明示的に反対するのは、あまりにも当然だと思います。

【参考】
“「セクシュアリティの多様性」を実現しようとする時、それは二つの方向性から考えられます。一つは、個人が望むことができること。もう一つは、個人が望まないことを強いられないこと。性的な暴力や強かんそして日本軍『慰安婦』制度を取り上げることは、その後者の立場から「セクシュアリティの多様性」を扱うことになります。言うまでもないことですが「意に反する性行為を強いられないこと」は、「セクシュアリティの多様性」を実現するためには必要不可欠です。”
http://d.hatena.ne.jp/hippie/20160919/p1

●加えて、セクマイコミュニティ内部における民族差別を問うという観点からも、重要なテーマです。
例えば、カナダ・トロントのプライドパレードで、ブラックライブズマターの人達が、「カナダのセクマイコミュニティ内部のレイシズム(人種差別)」に抗議して、プライドパレードの進行をストップさせたこともありました。
https://torontogay69.com/2016/07/04/
セクマイの社会運動にも様々な路線があり、確かにカナダでも主流の「LGBT路線」からはこれは異端かもしれません。しかし、世界的な「クィア路線」の視点から見た時、私にとっては、こちらが標準です。セクマイコミュニティー内部にも存在する民族差別を放置していい時代ではないのです。

そして、カナダ(や米国)における黒人(や先住民)の権利という問題は、日本の文脈で考える時、在日朝鮮人(やアイヌ、沖縄差別)などの課題がそれに相当します。
「セクマイだって日本国民」という信じられない国会質疑をはじめ、実際に日本のセクマイコミュニティーの内部にも、レイシズム/民族差別/植民地主義は多々あります。
http://d.hatena.ne.jp/hippie/20141004/p1
世界のいろんな国の、その国内部での民族的少数派のセクマイを描いた映画は、沢山あります。また関西クィア映画祭でも、そういう映画をたくさん上映して来ました。しかし、日本国内の民族的少数派のセクマイを描いた映画は、ほとんどありません。なぜでしょう。日本社会のレイシズム/民族差別/植民地主義は、こういう形で、私たちの映画祭にも現れています。

●映画祭としての取り組みの直接のきっかけは、京都の朝鮮初級学校に在特会が押しかけてきた2009年の事件(地裁判決)でした。それ以降、関西クィア映画祭では継続的にこの問題を扱ってきました。今年は、特集という形にはできませんでしたが、これまでの積み重ねのうえに、『沈黙』の上映もあります。

▼2010年『ウリハッキョ』上映 (説明ページ
▼2012年 京都企画 日本のレイシズム-朝鮮人差別への無関心
▼2016年 特集2:日本軍『慰安婦』問題を本当に知っていますか?
▼2017年 ミニ特集(2) 不可視化に抗う 

●映画祭という場は、社会教育の場でもあります。
なぜ日本に沢山の朝鮮人が住んでいるのか。そこには、朝鮮半島を植民地にして支配してきた日本の歴史があります。なぜ朝鮮学校だけが高校無償化から排除されるのか。そこには、国策として朝鮮人を差別し続けてきた日本政府の歴史があります。しかしこういった歴史は学校教育では教えられません。日本では、本来教えられるべき知識を受け取ることがないまま、多くの人が育っていきます。それどころか「慰安婦問題はなかった」などというデマを主張して歴史を書き換えようという者が、総理大臣になってしまっています。
こういった状況に抵抗し、歴史の事実を一人でも多くの人に知ってもらうためにも、関西クィア映画祭として日本軍「慰安婦」問題のことを扱ってきました。

●更に、クィアを掲げる者として、性労働者・セックスワーカーの権利を擁護する立場から、日本軍「慰安婦」問題を扱う必要性も感じています。性労働と性暴力とは、区別するべきです。性労働を性被害として扱うようなやり方とは異なる立場から、日本軍「慰安婦」問題を訴えていきたいと思っています。

●もちろん、こういった関西クィア映画祭の考え方ややり方に反対するセクマイ当事者も一定数おり、そして残念ながらまだセクマイコミュニティー内の主流派形成には成功していません。そのため、逆に、「慰安婦」問題を扱う映画を上映する関西クィア映画祭を「異端視」する流れも一方であります。
そういった文脈では、これは、私たち自身によるセクマイコミュニティーへの提案です。セクマイコミュニティーを変えていくための、「私たち」内部における私たち自身の取り組みとして、日本軍「慰安婦」問題を取り上げています。

●映画「沈黙 立ち上がる慰安婦」の中では、この課題に取り組む運動団体内部のトラブルも、そのまま描かれています。 しかし、私は、あくまで自身の真実に率直に向き合い声をあげて行動する朴壽南監督の生き方に、個人的にとても元気をもらいました。業界内や運動内部でのトラブル、意見の違い、争いやもめ事は、私にとっても、セクマイコミュニティーの内部においても、日常茶飯事だからです。「きれい事」では済ませられない現実にまっすぐ向き合おうとする映画だと思います。その意味でも、一人でも多くの人に、見てもらいたいと思います。


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