~ 歴史をつくる これからも わたしたちも ~
第10回関西クィア映画祭の開催、おめでとうございます。
これまで様々な形で映画祭に携わってきた、全ての方に敬意を表します。
私がトランスジェンダーとしてひとつの身体改変に挑んだのは2006年、奇しくも今年の西部講堂の日程と同じ、5月20日のことでした。それはうまくいかず、結果的に裁判になったのですが、「明らかに医師の説明と合致しない状況になっている」と初めて報告したのが、映画祭のスピンオフ企画(?)である「京都★ヘンナニジイロ祭」でのことでした。ご厚意で設けて頂いたコーナーで、自らに現実を叩き込むような気持ちで話したことを覚えています。その後、2007年の映画祭ではゲストとして登壇もしました。なかなか長いお付き合いです。
裁判は終わり(未だに、訴えと和解の内容に関する事実誤認が多いことは残念ですが)、私は混沌の中に残り、映画鑑賞に興味を持てない時期も長く続きました。クィア映画祭では、辛うじて数本観ていました。どれだけ消極的な、ときには厭世的な気持ちで観ていても、共感できるセリフが必ずあるというのは奇跡的なことです。また同じ映画でも、数年後に改めて観ると、思いのほか理解が深まっているということもあります。
せっかくの貴重な、かなり幸運な機会です。何本か観ておくことをお勧めします。将来の世界や将来の自分に今のところ期待していなくとも、やがて思いがけない変化を感じることができるかもしれません。それは割と良いことです。
この文章を書くにあたり10年前の日記を引っ張り出したところ、幾度となく書きつけてある詩がありました。せっかくなので、その一節をご紹介しておきます。この映画祭の意義と、相通ずるものがあるでしょう。