第10回 関西クィア映画祭 2016
10th Kansai Queer Film Festival 2016

~ 歴史をつくる これからも わたしたちも ~

開催日

  1. 大阪会場(とよなか男女共同参画推進センターすてっぷ)
      
  2. 京都会場(京都大学西部講堂)
      

メッセージ

医療訴訟元原告
吉野靫/ヨシノユギさん

吉野靫/ヨシノユギさん 近影

第10回関西クィア映画祭の開催、おめでとうございます。

これまで様々な形で映画祭に携わってきた、全ての方に敬意を表します。

私がトランスジェンダーとしてひとつの身体改変に挑んだのは2006年、奇しくも今年の西部講堂の日程と同じ、5月20日のことでした。それはうまくいかず、結果的に裁判になったのですが、「明らかに医師の説明と合致しない状況になっている」と初めて報告したのが、映画祭のスピンオフ企画(?)である「京都★ヘンナニジイロ祭」でのことでした。ご厚意で設けて頂いたコーナーで、自らに現実を叩き込むような気持ちで話したことを覚えています。その後、2007年の映画祭ではゲストとして登壇もしました。なかなか長いお付き合いです。

裁判は終わり(未だに、訴えと和解の内容に関する事実誤認が多いことは残念ですが)、私は混沌の中に残り、映画鑑賞に興味を持てない時期も長く続きました。クィア映画祭では、辛うじて数本観ていました。どれだけ消極的な、ときには厭世的な気持ちで観ていても、共感できるセリフが必ずあるというのは奇跡的なことです。また同じ映画でも、数年後に改めて観ると、思いのほか理解が深まっているということもあります。

せっかくの貴重な、かなり幸運な機会です。何本か観ておくことをお勧めします。将来の世界や将来の自分に今のところ期待していなくとも、やがて思いがけない変化を感じることができるかもしれません。それは割と良いことです。

この文章を書くにあたり10年前の日記を引っ張り出したところ、幾度となく書きつけてある詩がありました。せっかくなので、その一節をご紹介しておきます。この映画祭の意義と、相通ずるものがあるでしょう。

「賢明でありたい、と思わぬこともない。
 むかしの本には書いてある、賢明な生きかたが。
 たとえば、世俗の争いをはなれてみじかい生を平穏に送ること
 欲望はみたそうと思わず忘れることが、賢明なのだとか。
 どれひとつ、ぼくにはできぬ。ほんとうに、ぼくの生きる時代は暗い!
 (……)
 ぼくの時代、行くてはいずこも沼だった。
 ことばがぼくに、危ない橋を渡らせた。
 ぼくの能力は限られていた。
 が、支配者どもの尻のすわりごこちを少しは悪くさせたろう。
 こうしてぼくの時が流れた
 ぼくにあたえられた時、地上の時。
 (……)
 とはいえ、ぼくたちは知っている
 憎しみは、下劣なものにたいするそれですら 顔をゆがめることを。
 怒りは、不正にたいするそれですら 声をきたなくすることを。」
       (野村修訳『ブレヒト詩集』土曜美術社出版、2000年)