~ 歴史をつくる これからも わたしたちも ~
関西クィア映画祭開催、ありがとうございます。
映画祭は、私にとって、その開催自体がありがたいものです。
性暴力サバイバー自助グループを運営してきて、私たちは各地のグループのミーティングが開かれることを、その事実に毎日静かに連帯してきました。「行けないけど心で参加」というつながりが、自分の苦しみや回復を支えてきました。
自助グループの原則は、評価も批判もしない、お互いを助けない、自分たちで運営する、です。
そこには目の前のなかまへの敬意があり、結果として個々の自立が生まれます。
サバイブするのはあくまでそれぞれの日常です。ミーティングの日だけ闘うわけではないから、本当の自立が必要です。
映画祭は、若かった私にとって、闘える勇気が湧く舞台でした。参加者みんなが、主役でした。そこでたくさん学び、たくさん出会い、たくさん失敗もさせてもらい、出会いから生まれた願望も憎しみも、今はいい思い出です。
もう少し歳を重ねた今は、お祭りの舞台で楽しむのではなく、責任のある関わりを考えています。
私たちはどんな場合も被害者側に固定されません。暴力は連鎖的に(あるいは報復的にも)起きるし、社会の差別構造はあからさまです。
映画祭で再会できるまでに、何人のなかまが絶望し、命を落としたのだろう。
性的なマイノリティだけでなく、社会全体はいつも弱いものを生み出し、殺しつづけている。私たちは多くの人の犠牲の上にしか生きられない。
それでも、「こんちくしょう」と生きのびて闘う先輩たちに、私はいつも、背中を押されます。やるべきことは、まだまだたくさんある。
映画祭が開催されるということ、それは、まだ、いつも、社会へ疑問と新たな希望を投げかけつづけるということだと思います。
生きのびて、今日を闘うすべてのサバイバーにその風が届きますように。
映画祭、ありがとう。