日本で、クィアな立場から、パレスチナの人々の闘いに連帯するために。
参加者どうしで一緒に考え話し合う時間を設けます。
日 時:2024年2月25日(日) 13時開場
(13時15分開始、17時退出完了)
会 場:ウィングス京都(東洞院通六角下る)
定 員:20名程度
参加費:500円以上のカンパ
内 容:映像の鑑賞(予定)と、参加者どうしの意見交換
右のボタンから事前の参加申込みが必要です!
参加申込みボタン
※手話通訳を希望される方は、2/21(水)までに、参加申込みボタン からご連絡ください。
主催・問合せ
関西クイア映画祭 パレスチナ連帯プロジェクト
palestine+2024@kansai-qff.org
昨年から、イスラエル政府によるパレスチナのガザへの軍事侵攻が続き、たくさんのガザ市民が理不尽に殺され、多くの被害を受けています。イスラエル政府のあまりの非道さに、世界中で、日本でも、各地で抗議のデモや集会などが行われています。イスラエルをボイコットするBDS運動が日本でも市民の取り組みとして行われ、イスラエルの軍需企業エルビット・システムズとの協力中止を、2/5には伊藤忠商事に、2/9には日本エヤークラフトサプライに、それぞれ表明させることが出来ました。
関西クィア映画祭でも、「LGBTを利用したイスラエルの自己正当化」との闘いを描いた映画『これがピンクウォッシュ!シアトルの闘い』を、オンラインで日本語字幕で観れるようにしました。([CC]で「日本語」を選択する)
Pinkwashing Exposed: Seattle Fights Back! from Pinkwashing Exposed on Vimeo.
パレスチナにも、もちろんガザにも、クィアは居ます。例えば「ガザのクィアが殺されているのをなんとかしたい!」と思った時、何をすればいいのか。実際に、パレスチナのクィア達から、具体的な要請が世界に向けて出されてます。
上記を読めば分かりますが、そこで求められているのは、イスラエルのボイコット(BDS)やストライキなどで、クィア特有の何かではありません。
また、クィアたちが中心となる取り組みが、東京ではあるようですが、関西ではそこまでのものはありません。
ですので私も、まずは近所のデモや集会、パレスチナ連帯運動に参加します。そうすると、実際には、日本に生きるクィアとして、どうしても、さまざまな事を考えざるを得なくなります。
という事で、日本でクィアなパレスチナ連帯運動をしようとする時に、考えたい事として、私がパッと挙げてみたのが、以下の5項目です。
日本でも実際に、イスラエル大使館によるピンクウォッシュ宣伝がLGBT系の企画に持ち込まれています。
日本のパレスチナ連帯運動で、広河隆一さんは無視できない存在でした。しかしその広河さんによる性暴力やパワハラがあったとの告発が、2018年にありました。デイズジャパン検証委員会の報告書(2019年)では複数の性暴力が確認されました。
日本でパレスチナ連帯運動に関わる人々の間には、この問題を積極的に話題にすることを避ける雰囲気もあります。2023年には、土井敏邦さんが広河隆一さんに宛てた「公開書簡」が、「さらなるセカンドレイプを誘発した」と「広河隆一氏とデイズジャパン経営陣の人権侵害を忘れない会」から批判されています。
2023年11月には、ジャーナリストの志葉玲さんのSNSでのトランス差別発言を理由に、「21世紀の《ジェノサイド》に抗して 〜ガザを知る緊急報告会〜」の共催を「<パレスチナ>を生きる人々を想う学生若者有志の会」が辞退するということもありました。
トランスジェンダー差別言説がSNSを通じて拡散している状況が現在あり、パレスチナ連帯運動の内部でも、このような問題は今後も出てくるでしょう。
パレスチナ問題は、欧米による世界規模の植民地主義の問題です。だからこそ植民国家イスラエルは欧米政府からの支援を受け、またそれ故に欧米の市民によるパレスチナ連帯運動の本気さには目を覚まされます。
ひるがえって日本で、日本の植民地主義に起因する問題について、例えば現在進行形で日本政府や日本の行政が実践している制度化された朝鮮人差別について、また入管における差別的で暴力的なあり方について、日本の市民社会がどれほどの抵抗や抗議をしているでしょうか。
欧米の、文字通り職を賭してイスラエル政府批判をする人たち、駅や橋を占拠して交通を止めてまで即時停戦を求める人たち、その人たちと同じような真剣さで、例えば、日本軍性奴隷制(「慰安婦」)などの戦時性暴力や徴用工の問題、最近では「群馬の森」朝鮮人追悼碑の県による強制撤去などについて、日本に住む「私たち」はどれほどの取り組みが出来ているでしょうか。
たった今も、現代史上最悪規模の大虐殺が、被害者自身の声や映像と共に伝えられているにも関わらず、日本では欧米ほどの運動の広がりがありません。日本の市民社会が、自身の植民地主義の暴力の責任を問うことがそもそも出来ていないことの、反映なのかもしれません。
そしてそもそも。日本の多くの社会運動の現場が、「男性/異性愛/シスジェンダーの人たちの場所」(そして「日本人/健全者の場所」)になってしまっています。せめて「私たちは、男性特権や異性愛主義、トランス差別に反対だ」「運動内部のハラスメントを許さない」と明確に公的に掲げれば、運動現場の雰囲気を少しは変えることが出来ますが、そのような方針も議論もないことも珍しくありません。今は企業ですら(アリバイとしてしか機能しないことが多いとは言え)セクハラガイドラインを持っている時代なのに、です。そのため、運動への参加を躊躇する人たちがいます。少数派が参加するにあたっては、反差別が明示的に掲げられていないこと—それ自体が大きなコスト(社会的障壁)になるのです。
ここでは私の思いつくことを挙げてみました。これらに限らず、さまざまな課題を「ないこと」にせず、課題を踏まえて、もしくは併せて取り組みながら、運動を作っていくにはどうしたらいいでしょうか。
「私たち」は、マイノリティーとしての自身の生活のために行動することには、「慣れて」いるかもしれません。しかし実際にパレスチナへの攻撃をやめさせよう、パレスチナ連帯運動に参加しよう、とする時、それとは異なる種類の「責任」を引き受けることになります。
ただ単にSOGIだけを扱うような狭い発想の運動では時代遅れだということに気づいている人は、増えています。今の社会のあり方を本当に変える取り組みをしたい、と私は思います。
(ひびの まこと)