プロパガンダの先にあるもの:植民地支配の暴力としてのピンクウォッシング

プロパガンダの先にあるもの:
植民地支配の暴力としてのピンクウォッシング

alQaws 2020年10月18日


この分析論文は、alQawsが過去10年間にわたり、クィア・パレスチナ人の経験を中心にした地域社会組織の取り組みで探求してきたパラダイムの変化を探ります。
この変化がクィア・パレスチナ連帯運動にとって何を意味するかについては、alQawsとAdallah Justice Projectとのコミュニティ会話「プロパガンダの先に:反ピンクウォッシング運動の方向性の再定義」に参加してください。日時は2022年10月22日、東部標準時13:00、太平洋標準時10:00、パレスチナ時間20:00です。



10年以上前、パレスチナの活動家たちは、イスラエル国家とその支持者が「同性愛者とトランスジェンダーの権利」の言葉を利用して、パレスチナ人の抑圧から国際的な注目を逸らす方法を「ピンクウォッシング」と表現するようになりました。イスラエルの旅行ガイドや宣伝ビデオは、テルアビブのビーチを同性愛者に優しい観光地として宣伝し、民族浄化の結果であるパレスチナの村の廃墟の上で観光客たちがパーティーしているという現実を隠しています。イスラエル占領軍に同性愛者がオープンに参加できることは、イスラエルがリベラルで先進的な考え方を持つ証拠として利用されますが、パレスチナ人にとって、検問所における兵士のセクシュアリティーはなんら関係ありません。兵士は皆、同じ銃を持ち、同じブーツを履き、植民地体制を維持しています。

ピンクウォッシングは、成長するパレスチナ連帯運動に対抗するため、イスラエルをリベラルで「現代的」な国として再ブランド化することを目指す継続的な国際的なプロパガンダキャンペーンとして生まれました。テルアビブのような都市を同性愛者向けの観光地として宣伝することで、イスラエル外務省は世界中の同性愛者コミュニティの支持を得ようとし、パレスチナの闘争との国際的な連帯を防ごうとしています。重要なのは、「同性愛者に優しいイスラエル」の宣伝は、パレスチナ人(およびアラブ人全般)を正反対の存在として―つまり性的に後退的であるから連帯に値しない、と見なすように―描写することに依存していることです。これらのステレオタイプは、反アラブ主義とイスラム嫌悪に根ざした政治的戦略を用いて、パレスチナ人自身による語りと抵抗を悪魔化してきた長い歴史に基づいています。

初期の反ピンクウォッシング活動は、イスラエルの植民地主義とアパルトヘイトの実態を隠すためのキャンペーンを特定し、対抗することに焦点を当てていました。しかし、反ピンクウォッシングのキャンペーンと理論が進むにつれて、alQawsの活動家たちは「プロパガンダ」の用語ではピンクウォッシングの真の範囲を捉えきれないことに気づきました。ピンクウォッシングは、一見するとグローバルなマーケティング戦略に見えますが、究極的には、イスラエルのより深いジェンダーやセクシュアリティの政治、およびシオニズムのイデオロギーの表現方法なのです。

ピンクウォッシングは症状であり、根本的な病気は入植者植民地主義です。ピンクウォッシングを植民地支配の暴力として認識することで、イスラエルがジェンダーとセクシュアリティに基づいてパレスチナ人を分断・抑圧・抹消しているということを理解できます。

占領と封鎖を使った軍事的暴力やアパルトヘイト法制度、難民の帰還権の否認などによりパレスチナ人のコミュニティを分断・排除することで、イスラエルの入植植民地主義は機能しています。入植植民地主義は、パレスチナ人個々人のレベルにおいても、自己のアイデンティティと共同体としてのアイデンティティにおけるの内的・心理的な分裂を生み出します。この闘いの性質を理解するためには、自分自身を理解し、植民地主義が私たちの生活の内面にどのように影響を与えているかを理解する必要があります。

ピンクウォッシングは、パレスチナ社会にとって性の多様性はもともと存在せず、外国の概念であるとする人種差別的な考えを推進します。この考えがパレスチナ人のコミュニティ内で内面化されると、クィアとジェンダー規範から外れたパレスチナ人は疎外され、社会グループから孤立した存在になります。この社会的圧力は、クィアのパレスチナ人に自分のアイデンティティや経験の一部を切り捨てなければならないとし、パレスチナ人として受け入れられないか、クィアとして受け入れられないかの二者択一を迫ります。内面化されたピンクウォッシングの破壊的な影響は、パレスチナのコミュニティ全体に広がり、「クィアのパレスチナ人はイスラエルの内通者もしくは西洋の情報提供者である」とする神話を強化し、政治的想像力を狭める無力感を拡大させます。

ピンクウォッシングはまた、力を奪うフレームワークでもあります。「ジェンダーとセクシュアリティの抑圧」がパレスチナ人であることの本質の一部であるならば、それに挑戦したり、本質を変えることは不可能となります。クィアのパレスチナ人は、私たちの社会におけるラディカルな変革の主体と見なされることはありません。むしろ、ピンクウォッシングは、クィアのパレスチナ人に、自分たちの経験や痛みを被害者意識と無力感の観点で解釈するよう促します。これは、植民地支配下にある全てのパレスチナ人における無力感と抑制に寄与します。

イスラエルを擁護する者がクィアのパレスチナ人について語るとき、その目的は個々の被害経験を強調し、「前時代的なパレスチナ社会」と「先進的なイスラエル社会」の間に二元論を強化することのみです。これらの描写は、パレスチナ社会が病的な同性愛嫌悪に蝕まれており、それに内から異議を唱える声はすぐに抑圧されてしまうことを示唆します。ピンクウォッシングはクィアのパレスチナ人に対し、個人的な(そして絶対に集団的でない)解放は、パレスチナ人コミュニティから逃れ、植民地支配者の腕の中に駆け込むことでしか見つからないと告げています。パレスチナ人はイスラエルの都市で「クィアの避難所」を見つけることができる、という神話が普及していますが、実際の植民地国家の政策は、クィア・トランス・その他に関わらず、パレスチナ人を排除・破壊する前提にしたものです。この植民地支配の状況を考慮に入れると、「人道的なイスラエル」の幻想は崩れ去ります。アパルトヘイトの壁に「ピンク色の入国ドア」はありません。

この明らかな矛盾にも関わらず、「救済者イスラエル」の神話は存続しています。これはピンクウォッシングが、最も手強い敵を消し去るために精力的に働いているからです。その最も手強い敵とは、植民地主義・家父長制・資本主義への抵抗の闘いを一歩の妥協も許さず、自身がパレスチナ社会・反植民地主義の闘いの重要なパーツであることを認識した、パレスチナ人クィアの運動です。この先進的で政治的なクィアの声が構造的に抹消されることは、植民地支配とそのナラティブの利益になります。

AlQawsは、ピンクウォッシングを植民地支配の暴力として強調することで、イスラエルの深層にあるセクシュアリティーとジェンダーの政治を明らかにしようとしています。植民地による分断を拒否し、自己と社会の間にくさびを打ち込ませないことで、私たちは自らをコミュニティと闘争の中で位置付け、パレスチナ人社会にある排除に立ち向かうことができます。AlQawsでは、パレスチナ人にとってのクィアは単なるアイデンティティではなく、政治的組織化と脱植民地化へのラディカルアプローチとして捉えています。

国際的な連帯を示す活動家や、ディアスポラとして活動するパレスチナ人にとって、これはどういうことを意味するでしょうか?この文書は、反ピンクウォッシングの活動を再構築し、クィアなパレスチナの声を中心に据え、パレスチナ内における20年間の草の根活動の中で育まれてきたアプローチを取り入れることを願って構想されました。グローバル・ノースでは、ピンクウォッシングは主にプロパガンダ戦略とみなされ、そのプロパガンダ毎に活動が展開されています。ピンクウォッシングを植民地支配の暴力として分析することで、活動家はイスラエルのプロパガンダへの対処能力が向上するだけでなく、ピンクウォッシングをより広い入植者植民地主義の文脈の中に位置づけることができます。そして、他の形態の植民地主義やジェンダー/セクシュアリティの抑圧との繋がりを見出すことができるようになります。反ピンクウォッシングの活動は、国際連帯と反帝国主義の精神で行われていますが、この文書が読まれ・活用される様々な草の根活動の中で、現地の文脈に応じて芽吹き、進化していくことを願います。

(日本語訳 マイ)


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