昼下がりの疑惑
―まさか、あんたダイク(レズ)なの?
―違う!私はダイクなんかじゃない!
作中で、マリ・カルメンが知人の女の子とハッテンしたことをロサに話す場面で交わされる言葉。コメディータッチなフィクションの世界で、かつ二人とも実は「その気」があることが伝わってくるので、初見ではぷぷぷっと笑いながら、短いこの作品を観終えた。
が、しかし、よく考えてみると、会話から、二人がホモフォビアやバイフォビアを内面化してることは明らかだ。もし現実世界で、こんな会話を耳にしたら、ものすごくイラっとするかもしれない、と思った。
それまでは自分のことを「フツウ」と思っていた女が、女を好きになったり関係を持ったりしたら、すぐさまセクシャリティに疑いがかかること自体が、異性愛をスタンダードとする世の不当な偏りを表している。そこにあるのは、ある一人の女を好きになったり関係をもったりしたという事実だけ。ただその事実がそのまま受け止められる世の中だったら、どんだけ楽だろうかと思う。
だが、世界はそんなにシンプルではないので、そこから自らのセクシャリティについて悩み考え始めるのが定番のパターンだと思う。あくまでヘテロだと思うことにするかもしれないし、バイセクシュアル、パンセクシュアル等といった言葉にエンパワーされるかもしれないし、実はレズビアンだったとなるかもしれないし、もはやそんなラベルは面倒くさいとなるかもしれない。人によって、そして、人生のどの時期にいるかによって、色々だ。
この映画の「ダイクなの?」「ダイクなんかじゃない!」というやり取りは、自らのセクシャリティについて考え始めるときに、差別を内面化してしまったパターンだ。こういう「ヘテロ」のやり取りは、本当にウザい。ダイク「なんか」、とは一体どういうことだ。ダイクやレズビアンというアイデンティティがこういうネガティブな文脈で使われることはちゃんと批判しなければならない。
けれども、ウザいと思いつつも、この映画でぷぷっと笑ってしまうのは、「ヘテロ」な女友達を端から見てる感覚で「いいぞ!いいぞ!もっとやれ!」と思うからかもしれない。それまでは““フツウ””だと思ってた自分のセクシャリティの境界線が揺らいでいる様子を端から見てると、「ほら見ろ、セクシャリティなんてのは幻想なんだ」と言いたくなる。
実線だと思っていたセクシャリティの境界線が点線へと薄れ、そしてついには消滅することを期待せずにはいられない。マリ・カルメンとロサの二人が差別の内面化から解放され、素直になれますように。
- 邦題
- 昼下がりの疑惑
- 原題
- Dudillas
- 英語題
- Doubts
- 監督
- Pedro Rudolphi
- ジャンル
- ドラマ
- 上映時間
- 6分
- 制作年
- 2019
- 制作国
- スペイン
- 言語
- スペイン語
- 字幕
- 日本語字幕・英語字幕 English subtitles
- 上映会場・日時
- 大阪 (9/18 12:25) / 大阪オールナイト (9/18 23:00) / 京都 (9/20 10:10)
- ウェブサイト
- LINE UP Shorts - Dudillas
- 配給
- LINE UP Shorts